1806年戦役のベルナドット(3)

 ベルナドット軍団がゲラ(Gera)に到着したが、プロシア軍は居なかった。ナポレオンは、

この時点でプロシア軍は西のエルフルト(Erfurt)方面に居ると想定して、向きを西に変更した。

ベルナドット軍団は引き続き北進してツァイツ(Zeitz)、ダブー軍団は北西に向きを変えて

ナウムブルク(Naumburg)に進軍した。ランヌとオージェローは北進してイエナ(Jena)付近に、

右翼のスールトは西に向かいゲラ付近に、ネイは北進してアウマ付近に向かった。

下図はMilitary History and Atlas of Napoleonic WarsのMAP61の抜粋である(10月12日)。

10月13日は、戦役の流れを決めた日である。

ナポレオンは、イエナからエルフルト方面に進軍する事にして戦力を集中した。ベルナドット軍団は

西のダブー軍団と合流した。

一方のプロシア軍はナウムブルクで補給路を遮断された事に動揺して本隊は北に後退する事にした。

この時のプロシア軍首脳部の議論については、以前にイエナの戦い仮想シナリオ補足で記載した。

下図はMilitary History and Atlas of Napoleonic WarsのMAP62の抜粋である(10月13日)。

<個人的な感想>

 機敏に行動したフランス軍に対して、プロシア軍の行動は鈍く消極的である。

イエナ付近での決戦案も議論されたが、結局安全策で本隊を北に後退して

ナウムブルクのフランス軍を排除する事にしたのなら、ルッヘル軍も同行するか

ホーエンローエ軍を支援できる位置まで移動すべきであった(結果論であるが)。

フランス軍が相互に支援できる位置で移動しているのに、プロシア軍はバラバラに

移動しているのは対照的である。ナポレオンの賢さを賞賛すべきか・・・。

 

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