(3)交通渋滞時の速度
(A)基本的な考え方
ナポレオン戦争時の交通渋滞に関する資料は見当たらないので、次の2点から推測する。
(a)第Ⅰ軍団のドルンブルク通過時の資料
(b)現在の自動車の渋滞に関する資料
(a)に関しては断片的なデータしかないので、師団単位での通過時間は分からない。
そこで、(b)のデータと比較して、ある程度の類似が見られるならば、(b)のデータを
基に師団単位の通過時間を予測できる。
(B)第Ⅰ軍団のドルンブルク隘路通過時の資料
何度もお世話になっている”祖国は危機にあり”さんの下記WEBページから抜粋する。
(a)通過開始時刻 = 10月14日のAM11:00
⇒上記WEBページの最後の引用にある。(Foucart “La campagne de Prusse” p697)
(b)兵士1人が通過するに必要な時間 =45分
⇒上記WEBページの最後の1つ前の引用にある。
(Titeux “Le Maréchal Bernadotte et la Manoeuvre d’Jena” p104-105)
(c)部隊の通過時間 = デュポン師団以外の部隊合計が5時間
⇒上記WEBページの最後から4つ目の引用にある。デュポン師団が通過を始める
ことができたのはPM4:00からである。:上記(a)から5時間後。
(Titeux “Le Maréchal Bernadotte et la Manoeuvre d’Jena” p101-102)
(C)自動車の渋滞との比較
(a)ドルンブルク隘路の渋滞速度
上記(B)(b)の橋から45分を基に計算すると、以下になる。
800m(下図) ÷ 45分 = 1.07km/h
灰色実線のルートが”Alter Weg”(英語でold way:古い道)と表記されている。気になったので
調べてみたが、良く分からない。詳細は下記の別ルートに示すが、このルートは1806年当時は
なかったか、隠れ道でフランス軍が気付かなかったと思われる。歩兵だけでも別ルートで登れたら、
フランス軍の報告に残っていた筈である。
(b)ドルンブルク隘路の渋滞に伴う速度低下
上記のGoogleマップでは徒歩16分とあるので、45分と比較して約3倍の速度低下である。
(c)現在の自動車の渋滞に関する資料から抜粋した渋滞速度
自動車渋滞の定義は、下記のWEBページを参照すると、次の通りである。
一般道=10km/h、 都市高速道路=20km/h、 高速道路=40km/h
(d)現在の自動車の平均旅行速度
自動車による混雑時平均旅行速度は、下記のWEBページを参照すると、次の通りである。
一般道=35km/h、 都市高速道路=40km/h、 高速道路=78km/h
(e)渋滞による速度低下の比較
速度低下率を見ると、ドルンブルク隘路の渋滞は自動車の渋滞のバラつきに含まれる。
項目 | 平均速度 | 渋滞速度 | 速度低下率 |
ドルンブルク隘路 | 3(*1) | 1.07 | 0.356 |
一般道 | 35(*2) | 10 | 0.286 |
都市高速道路 | 40(*2) | 20 | 0.5 |
高速道路 | 78(*2) | 40 | 0.513 |
(注)
(*1)ドルンブルク隘路の平均速度は、上記(b)の約3倍から逆算した値とした。
(*2)混雑時の平均速度であるが、軍隊の移動も混雑時の移動と見なせるので採用した。
(補足)別ルート
A1)下記のドルンブルクwikiドイツ版に記載のある1650年の町の絵には、高台へと
上る道が書かれている。これは上図の青丸点線ルートに相当する。もちろん156年後の
1806年には違っているかもしれないが、メインルートであった事は確かと思われる。
A2)1/25000地形図(1933年製)の該当区域を切り抜いたものが下記である。
これには灰色実線ルートがfoot pathの表記(赤く囲んだ中の点線)で示されている。
イメージとしては次のようなものと思われ、第Ⅰ軍団の報告書にあるような”ドルンブルクの
隘路は完全に荷車向けのものだった”との記述には該当しないと思う。
<個人的な感想>
かなり乱暴な見方ではあるが、上記の渋滞による速度低下の比較を見ると、
ドルンブルク隘路の渋滞と自動車の渋滞は類似がある。そこで、次回は
自動車渋滞の通過時間を基にドルンブルク隘路の通過時間を推測する。