前回調べた大陸軍の軽騎兵旅団長で、少将(General d’ Division)が
旅団を指揮する事を疑問に感じた。そこで、色々調べてみた。
(1)組織上の定義
下記のWEBページを参考にすると、以下の定義となる。
・L’organisation des armées du Premier Empire
(A)騎兵師団(La division)
通常2ヶ騎兵旅団から構成され、少将(General d’ Division)が指揮する。
(B)騎兵旅団(La brigade)
同じ騎兵種別の1〜4ヶ連隊から構成され、准将(General d’ Brigade)が指揮する。
(2)実際の編成
1805年戦役(ウルム、アウステルリッツの戦いを含む対オーストリア・ロシア戦役)を調べてみた。
指揮官名の後の( )内は当時の年齢である。
軍団番号 | 師団長 | 旅団長 | 合計連隊数 |
Ⅰ | Kellermann(35) | Vagnair(40)、Picard(44) | 4 |
Ⅱ | Lacoste(58) | d’Etoquigny(43) (*1) | 4 |
Ⅲ | なし | Viallanes(43) | 4 |
Ⅳ | なし | Margaron(40) | 4 |
Ⅴ | なし | Trelliard(41) | 4 |
Ⅵ | Tilly(56) | Rouyer(40),Duprès(50) | 4 |
Ⅶ | なし | Augereau(33) (*2) | 1 |
(1)の組織上の定義を適用すると、以下となる。要は少将が指揮するのが師団であり、必ず
旅団長(准将)が下に付く。連隊の数で師団か旅団が決まるわけではない。
第Ⅰ、Ⅱ、Ⅵ軍団 :1ヶ騎兵師団で2ヶ騎兵旅団(各2ヶ騎兵連隊)から構成される。
第Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ軍団 :1ヶ騎兵旅団(4ヶ騎兵連隊)から構成される。
第Ⅶ軍団 :1ヶ騎兵旅団(1ヶ騎兵連隊)から構成される。
(*1)2ヶ連隊はフランス軍のユサール連隊、もう2ヶ連隊はバタビア共和国(現在のオランダにあった
フランスの衛星国)軍のユサール連隊、竜騎兵連隊で、2ヶ旅団長を兼任していたと思われる。
なお、第Ⅱ軍団に派遣された下記のバタビア共和国軍は、2ヶ旅団で2人の少将(GeneralMajor)が
指揮していた(Von Heldring, Von Hadeln)が、フランス軍の指揮下にバラバラに配属されたようである。
・戦列歩兵 :10ヶ大隊(5ヶ連隊)、 軽歩兵 :2ヶ大隊
・ユサール :2ヶ大隊、 竜騎兵 :2ヶ大隊
・徒歩砲兵 :5ヶ中隊、 騎馬砲兵 :1ヶ中隊
Dutch-Belgian Troops of the Napoleonic Wars (Men-at-Arms)のp12を参照。
(*2)軍団長のオージェロー元帥(48)の弟。
(3)ティリ(Tilly)将軍について
元気で陣頭指揮した訳ではなく、部下の旅団長に任せていたと思われる。
エルヒンゲンの戦いでは猟騎兵第10連隊長のColbert(28)大佐が活躍し、戦功が認められて
准将に昇進して第Ⅵ軍団の騎兵部隊長になった。
1806年戦役では第1軍団に2人の旅団長Wattier(36)、Picard(45)が付いていた。
<個人的な感想>
軍団騎兵部隊長は准将で十分と思われる(1807年戦役では全て准将になった)。
騎兵少将の役職の1つとして軍団騎兵部隊長があったように思う。
なお、ケラーマン(Kellermann)少将は軍団騎兵将軍の中でダントツに若い・・・。
(マレンゴの戦功のお陰か?)
オージェロー元帥の弟も若いが、特別な戦功も見当たらないので、兄の贔屓で准将に
なったように思われる。いつの時代でも身贔屓はあるもの・・・。