前回のティリ将軍の年齢が高いので、1805年から1807年戦役での
大陸軍の各軍団に所属する軽騎兵旅団長を調べてみた。( )内が当時の年齢である。
軍団番号と指揮官 | 1805年 | 1806年 | 1807年 |
Ⅰ(ベルナドット) | Kellermann(35) | Tilly(57) | Carrière(36)(*2) |
Ⅱ(マルモン) | Lacoste-Duvivier(58)(*1) | 不参加 | 不参加 |
Ⅲ(ダブー) | Viallanes(43) | 同左(44) | Marola(38) |
Ⅳ(スールト) | Margaron(40) | Guyot(38) | 同左(39) |
Ⅴ(ランヌ) | Trelliard(41) | 同左(42) | 不参加(*3) |
Ⅵ(ネイ) | Tilly(56) | Colbert(29) | 同左(30) |
Ⅶ(オージュロー) | Augereau(33)(*4) | Durosnel(35) | 同左(36) |
(注)金色に塗った人は少将(General d’ Division)で、無色は准将(General d’ Brigade)である。
(*1)歩兵出身で実質はd’Etoquigny(43)准将が旅団を指揮していた。
(*2)Beaumont男爵とも記載される。
(*3)ランヌ元帥は予備軍団を指揮して参加していた。
(*4)軍団長のオージェロー元帥の弟。
<個人的な感想>
実質的に軽騎兵旅団を指揮していたのは、ティリ将軍を除いて30~40歳代であった。
普通は陣頭指揮するので、老齢では難しいと思う。ティリ将軍は、元気だったのか・・・。