1806年戦役ベルナドット軍団の騎兵旅団長

 1806年戦役ベルナドット軍団の騎兵旅団長を務めたティリ将軍について

気になったので調べた。

 フルネームはJacques Louis François Delaistre de Tillyで、バタイユゲームの

OOBでは准将(General d’ Brigade)と記載されているが、

正しくは少将(General d’ Division 1793年に昇進)である。

生まれは1749年で1806年戦役(*1)の時は57歳の老将であり、軽騎兵旅団を指揮するのは

疑問が生じる。1805年戦役(*2)ではネイ元帥の第6軍団軽騎兵旅団長を務めていた。

1805年戦役でベルナドット軍団の騎兵旅団長を務めたケラーマン少将から交代した

理由は不明である。1806年戦役ではケラーマン少将の名前がでないので、

参加していないと思われる(負傷か?)。

  (*1)イエナ・アウエルシュタットの戦いを含む対プロシア戦役

  (*2)ウルム、アウステルリッツの戦いを含む対オーストリア・ロシア戦役

 

 ベルナドットが負傷してヴィクトールに第1軍団の指揮権を譲るまでは、一緒に

戦っており、1807年戦役(*3)の頃にはカリエ准将に交代している。

 (*3)アイラウ、フリートランドの戦いを含む対ロシア戦役

 

革命戦争時代にはベルナドットと下記の関りがあったので、顔なじみである。

 ・1795年戦役 サンブル・エ・ミューズ軍で師団長として同僚であった。

 ・1800年10月から1801年5月まで西方軍司令官臨時代理として

  ベルナドットの不在期間を務めていた。

 なお、革命戦争とナポレオン戦争で何回か監察官(*4)を

務めており、実戦部隊長よりも規律を重んじる隊長と思われる。

 (*4)騎兵監察官(inspecteur général d’cavalerie)だけでなく、

  歩兵監察官(inspecteur général d’infanterie)も務めた事がある。

 

 1808年にはスペイン戦域に送られる。主な会戦の最後は、1813年の

ヴィットリアの戦いである(64歳)。竜騎兵第2師団を指揮しており、この時の司令官は

ジュールダン元帥である(かつてのサンブル・エ・ミューズ軍の司令官)。

 

<個人的な感想>

 ベルナドットも規律を重んじるので、14歳年上であるがティリ将軍とは気が合ったのかもしれない。 

 

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