アンスバッハ総督・駐留軍司令官のベルナドット

 アウステルリッツ会戦の後、1805年12月4日にフランスとオーストリアは休戦協定を

結び、12月26日にプレスブルグの和約で終戦となった。この休戦交渉中の12月15日に

中立のプロシアとフランス間でシェーンブルン協定が結ばれ、以下の領土が交換された。

  ・プロシアからフランスへ :ノイシャイテル、アンスバッハ、バイロイト

  ・フランスからプロシアへ :ハノーファー

下図はOsprey Military Campaign Series No2 Austerlitz 1805のp87に注記を追加したもの。

これに伴い、ベルナドットはアンスバッハ総督に任命された。

翌年の1806年にアンスバッハは、ババリア王国(バイエルン王国)に割譲されたので、

短い間であったが、ベルナドットはハノーファーと同様に善政を行ったようである。

 

<個人的な感想>

 今後の対オーストリア戦を考えると、アンスバッハ、バイロイトの方がハノーファーよりは

位置的に重要であると思えるので、この交換はフランス側に有利である。

それにしても、アンスバッハを通過されたプロシアが、よく交渉に応じたと思う・・・。

ベルナドットが、ハノーファーの次にアンスバッハの総督に任命されたのは、ナポレオンの

信頼がある為と思われる。1805年の戦役でババリア(バイエルン)軍団も指揮していたので、

その点も考慮されたかもしれない。

 

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