ベルナドットの第1軍団は、開戦前には予備として後方に待機した。
主な配置は次の通り(英語のwiki Battle of Austerlitzから引用)。
開戦後第1軍団は、ロシア軍親衛軍団の反撃に対してスールト軍団を援護した。下図の青色が第1軍団で、
左側がドルエ師団、右側がリボー師団である。スルート軍団(水色)の左側がサン・ティレール師団、
右側がヴァンダム師団で、ヴァンダム師団の戦列歩兵第4連隊、軽歩兵第24連隊はロシア軍騎兵の
反撃で潰走した。それに対応して、フランス軍は近衛騎兵部隊(黄色)が反撃して撃退した。
これについては大陸軍 その虚像と実像、祖国は危機にあり 関連ブログさんに詳しい検討がある。
上図はOsprey Military Campaign Series No2 Austerlitz 1805のp70,71に注記を追加したもの。
なお、Morandと追記したのは、サン・ティレール師団所属のモラン准将(Morand)の旅団で軽歩兵
第10連隊1500人である。この部隊の功績は大きく、サン・ティレールとヴァンダム師団の旅団指揮官
(准将)6人の中で3週間後に少将になったのは、彼だけである。年齢ではモランとフェレ(Ferey)が
最年少で34歳、ティエボー(Thiébault)が36歳、サヴェチー(Savettier)が37歳、
ヴァレ(Varé)が39歳、シュニ(Schiner)が44歳である。6人中最年少で先に少将になり、
ダヴー軍団の師団長に栄転した。
<個人的な感想>
ドルエ師団をサン・ティレールとヴァンダム師団の間に応援として送ったのは、ベルナドットの
判断と言われている。ベルナドット軍団の支援がなければ、スールト軍団は敗退の可能性が
あったと思われるので、適切な判断と思う。
ベルナドットが1796年戦役のダイニングの戦いで功績筆頭にあげたモラン(当時は少佐)が、
この戦いでも名声を上げた事にベルナドットも喜んだと思われる。