1805年4月に第3次対仏大同盟が結成され、次の主要国がフランスへ宣戦布告した。
・イギリス、 オーストリア、 ロシア、 ナポリ、 スウェーデン
イギリス本土への侵攻を準備したナポレオンは、ブローニュに遠征軍20万人を終結していた。
この遠征軍には、下記のようなメンバーが指揮官になりベルナドットは含まれていない。
(ハノーファー総督・駐留軍司令官のまま)
1)前衛軍団:ランヌ元帥
2)右翼軍団:ダヴー元帥
3)中央軍団:スールト元帥
4)左翼軍団:ネイ元帥
5)予備2ヶ軍団:オージュロー元帥、マルモン中将
6)予備騎兵軍団:ミュラ元帥
フランス海軍は遠征軍輸送の安全を保障できなかったので、侵攻は延期された。
そうしているうちに、オーストリア軍がイタリア(カール大公の9万4千人)と
ドイツ南部(フェルディナンド大公の7万2千人)に侵攻した。また、ロシア軍も
援軍として合計7万6千人を派遣した。
イタリア方面にはマッセナ元帥の軍5万人がいたが、ドイツ南部はがら空きであった。
その為、フランスと同盟していたドイツ南部に所領を持つババリア選帝侯は軍を
後退させ、フランス軍の応援を待つことにした。
<個人的な感想>
ナポレオンがドイツ南部方面に監視軍を置かなかった理由は分からない。イギリス遠征に
重点をおいたとしても、無防備過ぎると思う・・・。
なお、イギリス遠征軍の軍団指揮官は、オージュローを除いて若手を登用しているのが
印象的である。