ベルナドットは1804年6月にモルティエ元帥の後任としてハノーファー選帝侯領の
総督・駐留軍司令官(27000人)に任命された。
司令部を市内のGartendirektorenhaus(今はHardenbergsches Haus)に置いて
政治・軍事に善政を行ったようである。特に次の2点があげられる。
1)1804年秋の財政危機
ナポレオンに掛け合って、ナポレオンがベントハイム公国から取り立てた19億2千万円の
税金から18億円を引き出してハノーファーに援助した。
2)1805年初め数ヶ月の災害危機
軍の物資などを放出して救援に当たった。また、ナポレオンに掛け合って次の支援を得た。
A)1万トンの小麦をフランス本国から輸送
B)駐留軍から約1/3に当たる3ヶ連隊(約9400人)の削減
→ハノーファーにとっては、その分の駐留費負担が減る。
後にベルナドットは、モールゲンの戦い(1807年1月25日)でコサック兵に自分の荷物を奪われた。
ロシア軍司令官のベニグセン騎兵大将はハノーファー生まれであったので(28歳の1773年
まで居て、その後ロシア軍に入隊した)、以下の言葉と共に荷物を返してよこした。
”元帥が私の祖国ハノーファーで指揮されていた際にとった父親らしい態度のお返しとして
このような事をします。”
<個人的な感想>
ベニグセンは祖国を離れて33年も経っているのに、上記のような行動をするのは、
よほど感謝していたと思われる。また、ロシアに居るベニグセンまで昔のベルナドットの
行動が聞こえてきた事にも驚く。