1802年3月にアミアン条約でフランス革命戦争が終了するまで、西部方面軍司令官を
務めていた。その間は何事も無く、手持無沙汰だったようである。
辞任してパリに戻ってからは、次の2つの事件で嫌疑を受けて憲兵司令官のダブー少将の
監視対象になった。かなり執拗な監視だったようで、2人の中が険悪になった要因と言われている。
1)5月に起きたナポレオン暗殺未遂事件
2)レンヌ陰謀事件(西部方面軍司令官の時に参謀長だったサイモン少将が首謀者の1人である)
ナポレオンは、自分に批判的なベルナドットが邪魔になってきて、北米のルイジアナ総督、
アメリカ合衆国大使などに任命して大西洋の彼方に追い払おうとしたようである。ベルナドットも
現状に嫌気がさして受けようとしたが、どちらも最後にナポレオンが心変わりして消滅した。
(なお、ナポレオンが最も警戒していたモローは、既にアメリカ合衆国へ追放になっていた。)
結局、1804年の春までは何もする事がなかった・・・。
<個人的な感想>
ナポレオンが着々と皇帝への道を歩んでいるのに比べて、無為に日々を過ごすしかない状況に
追い込まれたのは、クーデターに協力しなかった事・その後も共和主義を捨てずにナポレオンに
批判的な言動を隠さなかった為と思われる。