西部方面軍司令官のベルナドット(1)

 1800年5月1日にブリュヌの後任として、西部方面軍司令官に任命された。

表向きは、イギリス軍のブルターニュ侵攻が予想されたので、その対策である。

しかし、実際には王党派の反乱があったヴァンデ県(西部方面軍の管轄下にある)の

状況が悪化しており、ブリュヌが対応に苦慮していた。こちらの方が緊急度は高い。

 ベルナドットは司令部をレンヌに置き、まずはヴァンデ県の対応に追われた。

 

 ベルナドットは、柔軟さと断固とした態度を使い分けてヴァンデ県の人々を懐柔した。

その結果、反乱の首謀者は逮捕できなかったが、反乱は収まり平穏さが戻った。

 

 ナポレオンは、オーストリアとの戦いに出発する前にベルナドットに次の手紙を書いて、

イギリス軍の侵攻に対して信頼している事を明言している。

”私は再度危険な戦いに身を投げ入れる。結果がどうなるかは分からない。

もし私が斃れたならば、4万の兵を率いてパリを守るのは君だ。共和国の運命は君の手の中にある。”

 

 実際には大規模な侵攻はなく、6月にイギリス艦隊の一部兵士がキブロンに上陸し、

少し荒らしただけである。この時ベルナドットは、4000人の兵士と共に駆けつけたが、

既に引き上げた後であった。

 

<個人的な感想>

 ナポレオンがベルナドットを西部方面軍司令官に任命した理由は、ヴァンデ県対策と思う。

自分に協力しないと明言した人間に良い仕事を任せるとは思えない。火中の栗を拾わせて

評価を下げる事を期待したのかもしれない。

また、ナポレオンの手紙は、書かれているような信頼の表明よりも、自分が留守中に

余計な事をしないように注意をイギリス軍侵攻に向かせたようにも思える・・・。

 

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