陸軍大臣ベルナドット(3/E)

 後方の支援体制は整ってきたが、前線の戦況は良くなかった。ベルナドットが

陸軍大臣在任中(約2ヶ月)の各方面軍の状況は以下のようなものである。

主にオーストリア、イギリス、ロシア軍との戦いであり、南から順に記載する。

1)<イタリア方面軍>

 フランス軍は攻勢に出たが、8月15日ノヴィの戦いで敗北し、司令官のジュベールが戦死した。

敗走したイタリア方面軍は、シャンピオーネのアルプス方面軍に合流し、ベルナドットは

シャンピオーネに両方の軍を指揮するように命じた。その後この方面は、双方とも消極的になった。

2)<スイス方面軍>

 総裁政府とベルナドットからの度重なる要求にも関わらず、司令官のマッセナは、

攻撃を行わなかった。そこで、ベルナドットは、この方面の敵軍を分散させる為に

ライン方面軍に陽動の攻勢を命じた。結果として、カール大公のオーストリア軍はライン方面に

向かうことになった。

3)<ライン方面軍>

 双方とも消極的であったが、司令官のミューラー(*1)はライン川を渡り上記のように攻勢にでた。

但し、陽動なので本格的な戦いは起こらなかった。

(*1)有名な騎兵のミュラではなく別人。

4)<オランダ方面軍>

 イギリス軍が上陸し、ロシア軍と合流しようとしていた。司令官のブリュヌは、総裁政府と

陸軍大臣に増援を求めた。ベルナドットは、増援部隊と物資の調達・送付を行い、

作戦面ではブリュヌに一任した。

(注)ベルナドットの辞任後にオランダ方面軍は勝利した。師団長の2人は次のように述べている。

 A)ブーデ少将

   オランダ戦線で勝利できたのは、ベルナドット陸軍大臣の素早い支援があった為である。

 B)ヴァンダム少将はベルナドットに手紙を書き、次のように誉めた。

   ”貴方は男であり、将軍であり、共和主義者である。あなたは、この立派な3つの称号を持つに

   値する人間である事を証明しました。”

 

<個人的な感想>

 マッセナが動かなかったのは、ベルナドットとの確執よりも攻勢にでる時期ではないと

判断した為のようである。しかし、ベルナドットはどう思ったか・・・。

ヴァンダム少将は、起訴から助けて貰った恩義もあるので誉めていると思われる。

 

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