バタイユゲームのプロシア歩兵戦力が、年代によりどの程度違うのか、気になったので調べて見た。
国別と同様に1戦力(100人)当たりの戦力平均値で比較してみた。なお、射撃力は歩兵の戦闘単位
である1ヶ大隊当たりの射撃力とした。
1806年はハーレの戦い、1813年はライプチッヒの戦いを参考にした。
1)戦列歩兵
1806年 | 1813年 | |
射撃力 | 4 | 7.5 |
白兵戦力 | 2 | 2.6 |
士気 | 25 | 23 |
2)軽歩兵
1806年 | 1813年 | |
射撃力 | 5 | 7.5 |
白兵戦力 | 2.4 | 2.3 |
士気 | 25 | 23 |
【補足】
1806年の戦役でフランス軍に大敗したプロシア軍は軍の改革を進めたので、
1806年以前と1813年以降とでは兵種が違っているものがある。
A)1806年以前にあった一般の擲弾兵大隊は、1813年以降にはない。
B)予備兵(Reserve)、後備兵(Landwehr)は1806年以前にはなく、1813年以降に創設された。
なお、近衛部隊はハーレの戦いには参加していないので、比較できない。
<個人的感想>
戦列歩兵の戦力向上は軍の改革の成果と思われる。軽歩兵の白兵戦力も
大きくなった方が良さそうに思える。
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