バタイユゲームのフランス歩兵変遷(4/E)

 一般歩兵の隊形による射撃力の係数についても、変遷を調べた。

1)正規兵

 1807年1809年1813年
横隊(擲弾兵) 3  3 3
横隊(戦列歩兵) 3   3 2
横隊(軽歩兵) 3   3 3
散兵(軽歩兵) 3  3 3

1807年は擲弾兵師団の擲弾兵大隊、1809年以降は一般部隊に擲弾兵大隊がないので

1809年は親衛隊の狙撃大隊(Tirailleurs)、1813年は若年親衛隊の狙撃大隊を記載した。

 

2)補助兵(ライン同盟軍)

 1807年1809年1813年
横隊 3か2  3か2 2
散兵(軽歩兵) なし  なし 2

ライン同盟軍でも国により横隊の射撃係数が3の場合と2の場合に分かれる。

 

<個人的感想>

 1813年の射撃係数低下が横隊(戦列歩兵)やライン同盟軍に限定されるのは、

ゲームのバランス(他国との相対戦力)かもしれない。それでも、歩兵の大部分を

占める戦列歩兵が低下すれば、フランス軍全体として低下する。

1812年のロシア遠征によるベテラン兵の消耗を考えれば、妥当に思える。

 

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