監視軍司令官のベルナドット

 イタリア方面軍司令官を辞退した後に、ベルナドットは、監視軍の司令官になった。

監視軍の役目はジュールダンのドナウ方面軍の左翼に位置し支援する為のもので、

右翼はマッセナのヘルヴェティア(スイス)方面軍が支援する。

この3方面軍をジュールダンが統括する事になった。

ベルナドットは、監視軍の司令部をゲルマースハイム(Germersheim)に置き、

戦力は名目で4万8千人、実際は9千人程度であった。

オーストリアとの開戦に先立って、3月1日にはバーデン辺境伯領(*1)の

フィリップスブルグ要塞を包囲した。

一方、部下のネイ准将の提案でマンハイム攻略に彼が指揮する下記の少数の部隊を派遣した。

 ・第8竜騎兵連隊(約400人)、歩兵2ヶ中隊(約200人)、砲兵半個中隊(3門、約100人)。

マンハイムには歩兵460人、騎兵200人が守備していたが、奇襲を受けて1日で陥落した。

この功績で、ネイは少将への昇進を認められたが、辞退した、詳細は、ネイとベルナドット参照。

 

(*1)この当時、神聖ローマ帝国は多数の領邦国家の集合体になっており、多数はオーストリア帝国に

従っていた。バーデン辺境伯領もその1つ。

germersheim

約束された増援が一向にないので、フィリップスブルグ要塞包囲のまま膠着状態になり、

ジュールダンがシュトックアッハの戦い(1799/3/25)で敗北し、責任を取って4月初めに

辞任した時に、病気を理由にベルナドットも辞任した。

 

<個人的感想>

 結局、9千人程度の戦力では大した活躍もできなかったので、嫌気がさして辞任する

のも納得する。総裁政府も、可能なら増援したかったと思われるが、兵を集める事が

できなかったし、主戦場はジュールダンのドナウ方面軍なので、支援部隊に回す余裕が

なかったと思われる。

 

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