軍務に復帰(マインツ方面軍)とイタリア方面軍司令官の辞退

 ラシュタット会議が不調に終わりそうで、総裁政府は戦争の準備を始めた為、

ベルナドットは1798/10/20マインツ方面軍の左翼指揮官に任命され、ギーセンに向かった。

方面軍司令官はジュールダンであり、約2年ぶりにドイツ戦役で再び一緒になった。

Giessen1798

 イタリア方面軍司令官のジュベールが体調を崩して辞任し、後任の申し出が

1799年2月にバラスから来た。

しかし、総裁政府が部隊の増援を断った為、現有戦力では任務を達成できないと辞退した。

バラスが現有戦力の不足理由をレポートにして出してほしいと要望し、ベルナドットは纏めた。

主な概要は、以下の通り。

1)現有戦力は約10万3千人であるが、守備隊と要塞部隊が5万人おり、野戦部隊の戦力は

 5万3千人になる。

2)1797年の戦役では、ヴェネツィア要塞はフランス側が抑えており、オーストリア軍は分散していた。

しかし、今回はヴェネツィア要塞はオーストリア側が抑えており、合計12万人を集める事ができる。

3)上記のオーストリア軍に対抗するには、サンブル・エ・ミューズ軍から少なくても2万人の増援が必要である。

 

バラスはベルナドットのレポートを陸軍大臣のシェレールに見せ、意見を求めた。

シェレールは、理論的にはその通りだが、実戦では優秀な将軍なら現有戦力で可能であると回答した。

そこで、バラスは、シェレール自身が引き受ける事が可能か尋ね、シェレールは承諾した。

 

<個人的感想>

 シェレールはナポレオンではなかったので、ベルナドットの予想通りに戦力不足により

敗北することになる。自分自身を優秀な将軍と勘違いしていた為かもしれない。

それにしても、バラスは結構ベルナドットを高く評価しているように思える。

 

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