三色旗事件のフランス側対応(1)

 ウィーンを去ったベルナドットは、4/23にラシュタットに到着。ここに滞在して、

事件対応の承認とパリ帰還を求めた。並行してウィーンから直接パリに向かった

ヴィレ・フォヴィルとマレホスキーは、4/23に到着して事件の詳細を報告した。

総裁政府が三色旗事件への対応を苦慮している中で、ナポレオンとタレイランは

連れ立ってバラスに会い、ベルナドットの軽率、短気、ウィーンの人々に対する

無理解を非難した。

ナポレオンは前外務大臣ツゥグートから、タレイランは新外務大臣コベンッェルから

オーストリア側の事件見解を入手して、共にベルナドットに非があると迫った。

バラスは、次のように答えたとの事。

”彼(ベルナドット)は、どうすべきだっと君達は言うのかね。死ぬべきだったと。

確かに古代ローマ共和国なら、そのようなロマンティックな行為は価値がある。

しかし、そんな大げさな事は君達自身が行いたまえ。

それに、ベルナドットをイタリア方面軍司令官でなく大使にするように主張したのは、

ボナパルト、君じゃないか。”

 

<個人的感想>

 バラスの言うように、ナポレオンの豹変ぶりは”あんまり”である。そこまで、

ベルナドットを追い詰める必要はないと思うが、彼が英雄扱いされて自分の

ライバルになるのを防ぎたかったのかも知れない。

 

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