ベルナドット師団の解体

 10/18にカンポ・フォルミオ条約が締結され、正式にオーストリアと休戦となった。

その後、イタリア方面軍は大部分がイギリス方面軍(司令官はナポレオン)に合流

することになり、11/9に再編成された。

各師団とも解体されて、バラバラになり、ベルナドット師団は、

第61,30、88半旅団がベルナドットと一緒にイギリス方面軍へ。

第15軽半旅団、第55半旅団、第16,19猟騎兵連隊と砲兵隊はディリエ(d’Hilliers)師団に異動。

なお、他の師団長から解体の抗議はでなかったとの事。

 

ナポレオンは、ベルナドットの師団への愛着が理解できなかったらしく、彼の師団の

将校との会話で、次のように言ったとの事。

”君達のベルナドットは弱い男である。彼は、1人の兵士を抜かれたと不平をもらす

分隊伍長よりましかどうか怪しいものである。彼に再会したら、私の回答は

”木のお椀なしで食事はしない(*1)”と伝えてくれ。”

(*1)意味が分かり難いが、”兵士は単なる戦争の道具に過ぎない。食事の時の

お椀のようなもので消耗品であり、それに愛着・家族愛を示すのは、馬鹿げた事である”

との意味と思われる。分かり難い表現にしたのは、会話の相手も消耗品?なので、

ストレートに言うのは良くないと判断しての事と思われる。

 

離れる第15軽半旅団のラリュ大佐には、11/17に次の手紙を送っている。

”親愛なるラリュ、私は君の連隊宛てに手紙を送る。それを彼らに伝えてほしい。

別れるに当たり、私の心からの友情を受け取って欲しい。また、再び師団に

呼び戻せるように全力を尽くす事を信じて欲しい。もし出来なかったとしても、

君を北フランスへ送るように強く要請するつもりである。

そこが、君にとって愛着があり、色々な交友がある場所である事を知っているので。

さらばラリュウ、心を込めて抱きしめたいものだ。 ベルナドット。”

連隊への手紙は次回に。

 

その後、ラリュ大佐は1799年に戦闘で足を失い、ナポレオン戦争では活躍しなかった。

1799年には准将になる。12年後の1809年に北フランスのノール県司令官になり、

1815年までは北フランス地区の司令官を務めた。1818年には中将(Lieutenant General)

になり、1834年に退役。

 

<個人的感想>

 兵士に対するナポレオンとベルナドットの思いが全く違う点も、2人が

気の合わない関係になった理由の1つと思われる。

最終的にラリュ大佐は北フランス地区の司令官になり、希望が叶った事は良かった。

(ベルナドットが、どの程度尽力したかは不明)

 

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