ベルナドットがパリに派遣されている間、臨時の師団長になっていたのは、
ヴィクトール少将であった。彼は、ベルナドットが南方軍司令官になるとの噂を
聞いて、師団の兵士達に後任には自分がなるだろうと言ったが、兵士達は
沈黙して、誰一人として歓迎したものは居なかった・・・との事。
10年後には、ベルナドットが負傷した際に代わって第1軍団長になったのも、
ヴィクトール少将であった。その直後のフリートランドの戦いで第1軍団が奮戦
した結果、ヴィクトールは元帥を得る事ができた。
ナポレオンが、”ベルナドットの軍団をヴィクトールが指揮している”と語ったように、
実質的にはベルナドットの遺産で元帥杖を買ったようなもの。
更に2年後の1809年には、そのまま第1軍団を率いてスペインのタラベラで
ウェルズリー将軍に敗北。彼にウェリントン子爵をプレゼントする・・・。
師団長で代わったのは、デュポン少将からリュファン(Ruffin)少将のみ。
この時に参加したナポレオン戦線従軍記の著者、フランソワ・ヴィゴ=ルシヨンは、
ヴィクトールとリュファンを無能と酷評した。
<個人的感想>
ベルナドットの第1軍団とウェルズリー将軍のイギリス軍との対戦を見たかった。
サンブル・エ・ミューズ軍の上司だったジュールダン元帥も、その場に居たし。
ここは、バタイユゲームでベルナドットを登場させて対戦するしかないかも。
ナポレオンが2度もベルナドットの後任にヴィクトールを選ぶ理由が分からない。
単に自分の忠実な子分であるからか、それとも、ベルナドットの遺風を一掃
するのに彼が良いとの判断か・・・。少なくとも、彼は勇敢ではあったとの事。
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