7月末にベルナドットは、前年のリヴォリの戦いで捕獲した軍旗を政府に送る名目で
パリに派遣される事が決まった。その以前には、オージェローとナポレオンの副官
ラヴァレット(Lavalette)がナポレオンの代理でパリに来ていた。オージェローは共和派の
3人の総裁と接触し、ラヴァレットは王党派の総裁カルノーとその一派に接触していた。
どちらが勝っても良いように準備していたらしい。
そんな時にベルナドットがパリに派遣されたので、ナポレオンの本当の目的が何だったか
今でも謎との事。ベルナドット自身は、他のイタリア方面軍師団長が報奨の意味で一時帰国
しているのに、自分だけまだなので、パリ派遣は喜んだ。しかも、旅費はナポレオンが持った。
7/30にウディネを出発し、ミラノとシャンベリーを経由して8/20までにパリ到着。
(注)ミラノではナポレオン、シャンベリーではケラーマン将軍と会談。
8/21には、ナポレオンに宛てた報告書を書いている。
”パリに向かう途中でシャンベリーでケラーマン将軍に合い、貴方のメッセージを渡しました。
この地方では、共和主義の精神は明らかに生ぬるい状態にあります。
私が前回通った時に比べて、反革命が進んでいるかもしれません。
法律は緩く管理され、亡命した人々が戻ってきています。
裁判所は、彼らを無罪にするか、訴訟を放棄しています。(*1)”
(*1)本来、亡命者処罰法で裁かれる事になっていた。
続きは次回に。
<個人的感想>
ナポレオンは、主義よりも自己の野心に沿って行動しているように見える。
抗争する両方の派閥に各々代理人を送るなどは、共和主義者ではない。
そんな中で、扱い難いベルナドットを派遣する意味が不明である・・・。
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