クラーゲンフルトから更にナポレオンの司令部のあるユーデンブルクまで
約90kmを2.5日間で行軍し、4月7日に到着。1日当たり36kmなので、
かなり早い。ここには、オーストリアから全権大使が来て、和平交渉が始まっていた。
交渉の間にナポレオンは司令部レオーベンまで進め、ベルナドット師団も同行した。
和平交渉に臨んだのは、ナポレオンの他にはベルティエ、ベルナドット、
マッセナの4人のみとの事。4月18日に調印し、オーストリアとフランスは一時休戦した。
オーストリアの全権大使は、ベルナドット師団兵士の服装とマナーを称賛したとの事。
特に、マッセナ師団兵士のだらしなさ、下品な言葉使いと対照的だった。
更に、公式行事では、ベルナドット師団に同行したいと言ったらしく、マッセナ師団の
嫉妬を煽ったようである。
休戦を受けて、政府は主な指揮官に感謝の手紙を送った。ベルナドットには、以下の
内容になっている。
”将軍、貴官がマイン川から連れて来た勇敢な師団は、その軍功によりイタリア方面軍の
仲間になった。貴官の指揮官達もイタリア方面軍と同等の栄冠を勝ち取った。
特に、貴官は新しい戦場にも慣れて、軍を賢く運用できる事を証明した。ドイツ戦域でも
しばしば示したような大胆さと有能さを、グラディスカ要塞戦ではオーストリア軍のカール
大公に見せつけた。”
<個人的感想>
オーストリアのベルナドット称賛には、略奪禁止の感謝も含まれていると思われる。
表立っては、そのように言えないので。マッセナの略奪は有名である・・・。
結果として、グラディスカ要塞戦は犠牲が多かったが立派な勝利として、政府にも
認められ、政府がナポレオンに約束した有能な指揮官を送った事を証明した。
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