イタリア方面軍は3つに分かれて進攻し、左翼20000人はジュベール将軍33歳、
中央23000人はマッセナ将軍38歳、右翼20000人はナポレオン26歳が直接指揮した。
ベルナドット師団は右翼の前衛として3月11日にパドバを出発した。
その時の編成(約10000人)は以下の通り。なお、ベルナドットは、当時34歳。
右翼には他にセリエ師団(約10000人)が居た。
・ミュラ(Murat)准将30歳の旅団:第15軽半旅団、第30、55半旅団
・フリアン(Friant)准将38歳の旅団:第61,88半旅団、第14竜騎兵連隊
・シェブラン(Chabran )准将33歳の旅団:第1ユサール連隊(*)、第19猟騎兵連隊
(*)元々、イタリア方面軍に居た部隊で、今回ベルナドット師団に配属された。
3月16日昼頃にはタリアメント川西岸に到着。5.5日間で約150kmを行軍し、
1日当たり27kmで約9時間の移動速度なので、若干早い。
<個人的感想>
ミュラとシェブランは、1796年の戦役からイタリア方面軍に居た将校で、
増援部隊に同行したのはフリアンのみ。何やら人事異動には、思惑がありそう。
ナポレオンがベルナドット師団を直接指揮下に置いたのは当然としても、
旅団長に自分に忠実な准将を送り込むのは、やり過ぎと思う。
なお、将来アウエルシュタットで活躍する師団長が2人(フリアン准将と、その
部下になる第88半旅団大隊長モラン少佐)居るのが面白い。
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