1797年1月にベルナドットは、イタリア方面軍へ異動になった。1796年の11月から
12月にかけて、ナポレオンは政府に増援を要請していたので、その回答である。
ナポレオンは指揮官について、以下のように条件を出している。
”有名な将校を送って欲しい。ここでの戦争は他と違い、難しいのである。
また、2,3回交戦してみなければ、指揮官と師団を信頼できない。”
それに対して、政府は以下のように回答している。
”サンブル・エ・ミューズ軍からベルナドット少将と、その師団を貴官に送る。
彼は我々の認可を受け取っている。貴官が彼について満足のいく軍務報告を
送ってくる事を期待している。”
なお、サンブル・エ・ミューズ軍から誰を出すかについては、クレベールが
ベルナドットを推薦したとの事。サンブル・エ・ミューズ軍ではマルソー将軍が戦死、
ジュールダン将軍は信頼を失って辞任など、以前に比べて将校間の結びつきが
親密で無くなっていたらしい。
増援部隊は、ベルナドット師団とライン軍からデルマ(Delmas)師団の2ヶ師団で、
メッス(Metz)にて合流してベルナドットが全体の指揮を執った。
<個人的感想>
クレベールはベルナドットを相当信頼していたが、手元に残すよりも、将来の事を
考えて有望なイタリア方面軍への異動を推薦した事は素晴らしい。
<リンク>