マルソーの死後、サンブル・エ・ミューズ軍はライン川の西岸に戻り、
1796年の戦役は終了した。まもなく、ジュールダンは、自ら司令官辞任を
申し出て受理される。政府に出した手紙を意訳してみた。
1)”公益の為には、私が司令官を辞任するのが望ましい事を皆さんに
伝える事が義務と思います。何故なら、私は将軍たちの信頼を失いました。
もはや、彼らは私を司令官としての能力があると見なしていません。”
2)”私は、この5年間に色々な職位で共和国に奉仕できたことを誇りに
思います。任務を遂行する為に、最善を尽くしました。どんな幸運により
准将、そして司令官に昇進したのか自分には分かりません。誰も私のような
昇進をした人はいません。そして、いつも、私はそのような重要な職位には
ふさわしくないと言っています。”
その後、ジュールダンはハーケンブルクに将軍たちを集めて、証明書(*1)
の提出を要望した。しかし、クレベールとベルナドットは、その証明書が
ジュールダンの再任につながる可能性があるとの事で断った。
(*1)何の証明書か分かり難い。どうも、人物の推薦状らしい。
<個人的感想>
ジュールダンは、随分と謙虚に辞任したと思う。総裁政府と有能な部下との
板挟みに疲れたのかもしれない。
クレベールとベルナドットから見れば、総裁政府のいいなりでは兵士の犠牲が
大きいと考え、非情になって追い出したように思える。これは1つの考えであり、
妥協しない姿勢は納得。
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