1796年戦役のベルナドット(13/E)

 マルソーの死後、サンブル・エ・ミューズ軍はライン川の西岸に戻り、

1796年の戦役は終了した。まもなく、ジュールダンは、自ら司令官辞任を

申し出て受理される。政府に出した手紙を意訳してみた。

1)”公益の為には、私が司令官を辞任するのが望ましい事を皆さんに

伝える事が義務と思います。何故なら、私は将軍たちの信頼を失いました。

もはや、彼らは私を司令官としての能力があると見なしていません。”

2)”私は、この5年間に色々な職位で共和国に奉仕できたことを誇りに

思います。任務を遂行する為に、最善を尽くしました。どんな幸運により

准将、そして司令官に昇進したのか自分には分かりません。誰も私のような

昇進をした人はいません。そして、いつも、私はそのような重要な職位には

ふさわしくないと言っています。”

 

 その後、ジュールダンはハーケンブルクに将軍たちを集めて、証明書(*1)

の提出を要望した。しかし、クレベールとベルナドットは、その証明書が

ジュールダンの再任につながる可能性があるとの事で断った。

(*1)何の証明書か分かり難い。どうも、人物の推薦状らしい。

 

<個人的感想>

 ジュールダンは、随分と謙虚に辞任したと思う。総裁政府と有能な部下との

板挟みに疲れたのかもしれない。

クレベールとベルナドットから見れば、総裁政府のいいなりでは兵士の犠牲が

大きいと考え、非情になって追い出したように思える。これは1つの考えであり、

妥協しない姿勢は納得。

 

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