ノイマルクトから北に後退したベルナドットは、西に移動してニュルンベルグに
入った。そこで8/24にオーストリア軍と再度交戦した。
一方、ジュールダンの本隊は、モローが来ないと判断してナーブ川から後退し、
アンベルクに集結したが、8/24にヴァルテンスレーベン将軍のオーストリア軍から
攻撃を受け、敗北。結果として、カール大公の部隊に包囲される前に後退したが、
ヴァルテンスレーベン将軍の部隊はカール大公の接近を知って士気が上がり、
積極的に攻勢を掛けた為と思われる。
ベルナドットとジュールダンの本隊は、8/27にフォルヒハイムで合流し、とりあえず、
ベルナドットの側衛任務は完了した。
8/20から27日までのベルナドットの戦いについては、ジュールダンから報告を
受けた総裁政府の1人であるバラスが次のように誉めている。
”この危機的な状況の中で、ベルナドットは技能と機略を発揮した。いつの日か、
もっと大きな規模でヨーロッパで最も偉大な将軍の1人であることを示すだろう。
願わくは、自由の土壌から湧き出す気前の良い兵士たちにより、フランスの栄光を
保ち続けさせたまえ。外国およびフランスの軍人は、その時に、こう言うだろう。
ベルナドットは、クセノフォン(*1)と同じものを持っていると(*2)。”
(*1)クセノフォンは紀元前401年頃のギリシャ軍人で、ペルシャに遠征した傭兵軍が
指揮官の戦死で敵地の中で路頭に迷った時に、指揮を執り部隊を故郷近くまで連れ戻した。
その時の内容を「アナバシス」と名付けて本にした。
(*2)苦難に打ち勝ちながら味方の部隊を安全な土地まで連れ戻した事の
比喩として挙げている。少し前に読んだSF小説「彷徨える艦隊」も元ネタは
上記の「アナバシス」との事。割と有名な話らしい。
<個人的感想>
戦力的に劣勢な状況の中で、良く時間稼ぎをしてジュールダン本隊が
包囲されないように、また、自分の部隊が壊滅しないように、バランスを
取りながら、任務を遂行できた事は素晴らしいと思う。
<リンク>