ライン川西岸に戻ってから10日後の6月28日に、左翼のクレベール部隊が
デュッセルドルフでライン川を渡河して戦役が再開された。中央と右翼は、
ベルナドット師団を前衛としてノイヴィートでライン川を渡河する予定でいた。
ベルナドット師団を2時間で渡せるだけの艀が用意される筈が、半分の数であり
装備も不十分な為に速度も遅くなる事が判明。
東岸にいるオーストリア軍約4000人は、ノイヴィートから東に8km離れたベンドルフに
司令部を置いていたフィンケ将軍が指揮していた。
そこで、ベルナドットは少数の精鋭部隊でベンドルフに夜襲を仕掛け、敵司令部の
機能を麻痺させて、師団本隊の渡河時間を稼ぐ作戦を立てた。
参謀副官のミレル少佐に指揮(メゾン大尉、モウラン少尉が補佐)を任せ、精鋭部隊は
擲弾兵4ヶ中隊。1回の艀群で運べる最大戦力であった。
<ベンドルフの戦い>
2日AM3:00にベンドルフの司令部を奇襲し、成功した。オーストリア軍は混乱
して南に逃走。精鋭部隊は約4時間占拠していた。フィンケ将軍は一緒に逃げて
部隊の立て直しを図り、戻って来たが、その時にはベルナドット師団本隊が
到着しており、撃退された。
ジュールダンは回想録で、”部隊の勇気と指揮官の大胆さが渡河作業のミスを
カバーした”と誉めている。
<個人的感想>
それにしても、1つ間違えれば有能な将校と精鋭部隊を失なう可能性が
あるので、ベルナドットも思い切った事をしたと思う。
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