9月6日に左翼のクレベール部隊がデュッセルドルフでライン川を渡河し、
東岸を南下する事でサンブル・エ・ミューズ軍の秋季戦役が開始された。
これに押されたオーストリア軍は南に退却し、対岸のサンブル・エ・ミューズ軍は
順次ライン川を渡河した。右翼のベルナドット師団(*1)も16日以降にノイヴィートで
ライン川を渡河し、20日には36km離れたモンタバウアーを占領。更に21日には、
ナッサウでラーン川を渡河した。
(*1)少将に昇進してから初の師団長としての実戦であり、部隊編成は以下の通り。
准将2人(ドリエ、バルボ)、第111半旅団、第112半旅団、第2ユサール連隊、
第71半旅団、第21軽半旅団、第3猟騎兵連隊、計8223人。
23日にはマインツ対岸に到着(ナッサウから54km)。ここで、ピシュグリュ将軍の
ライン軍と合同でマインツ要塞を攻略する計画であったが、ピシュグリュ将軍の行動が
鈍く待機していた。待つ間にオーストリア軍は増援を得て、10日にフランクフルトから
反撃を開始し、ジュールダン将軍の左翼を迂回・包囲する機動を始めた。
ピシュグリュ将軍との合同ができないと判断した政府は、ジュールダン将軍に退却を
命令し、14日にはサンブル・エ・ミューズ軍が元のライン川西岸に退却を開始。
ベルナドットは後衛を任され、18日にはコブレンツ東方のカデンバッハで反撃し、
ラーン川まで押し戻した。
19日にはノイヴィートでクレベール部隊と合流したが、味方のミスで
橋が破壊されてライン川を渡れなくなった。この時、部隊に不安が広がったが、
ベルナドットの言葉で落ち着きを取り戻し、1日持ちこたえて20日に渡河できた。
その時の言葉は、”君たちに脅威を与えた敵は、昨日私の師団が撃退した。
今日はクレベール将軍と一緒なのだから、誰が我々を負かす事ができるか?”。
<個人的感想>
初の師団長としては余り活躍の場がなかったが、上記の言葉で部隊の
不安が解消された事はクレベールとベルナドットへの信頼が厚い事を意味
しているものと思う。
ずっと一緒だった第71半旅団も指揮下にいるし、将来有名になる将校が
2人いるのが面白い。
参謀副官 :ジェラール中尉22歳(1815年には軍団長、1830年に元帥)
第112半旅団大隊長 :モラン少佐24歳(後にダヴーの第3軍団の師団長
としてアウエルシュタットの戦いで戦功をあげる)
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