要塞司令官退任後のベルナドット

 マーストリヒトの要塞司令官に約2ヶ月ほど在任して、1795年1月中には

元のサンブル・エ・ミューズ軍に戻った。理由は、オーストリア領オランダが

バタビア共和国となりフランスの衛星国になった事による。それにより、

西側は安全でマーストリヒト要塞に強力な守備隊を置く必要がなくなった為。

 

 復帰してから暫くはサンブル・エ・ミューズ軍も待機状態であった。夏に攻勢を

始める前に、クレベールはジュールダンに次の手紙を書いて、自分の下に入れる

ように要望した。しかし、ジュールダンは左翼を任せていたクレベールの下に

信頼できる人間を更に入れるよりも、バランスを考えて右翼に配置した。

<クレベールの手紙 1795/8/16>(意訳)

 君が私に増援を送ってくれるとの事。喜んで受け入れる。もし、指揮官が自分の

職務に一身をささげる人であり、私の作戦方法を理解している人であり、私が絶対の

信頼をおける人であり、私が授ける電撃的な情熱を自分の部隊にも授けられる人で

あるならば・・・。君も良く分かっているが、ベルナドットである。

親愛なるジュールダン、彼を送ってくれるように頼む。

ライン川を越えたなら、彼を君に返すから・・・。

 

<個人的感想>

 クレベールがベルナドットをかなり評価している事が分かる内容である。

”ライン川を越えたなら・・・”は、分かり難い所がある。

クレベールの居るデュッセルドルフ のライン川の西側はフランスが支配しており、

夏の攻勢は、まずライン川を渡る事から始まる。文章の意味をそのまま受け取れば、

”すぐに返すから”になるが、それでは指揮下に入れた意味がない。

一旦指揮下に入れたら、理由を付けて返さない腹つもりだったかもしれない。

 

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