前回に続き、その後は以下の経過となる。
1)ベルナドットがクレベール少将に送った報告(意訳)
アルディ准将への指示の翌日に、出されたもの。
” 昨日の夕方6時に塹壕作業を開始し、3600人で約500mの塹壕を
掘ることができました。作業員は2時間毎に交代させています。
絶え間のない射撃、固い地面、時には砂場、塹壕を横切る3本の道路
などの困難にもかかわらず、作業中は静粛が保たれています。
敵から上手く隠れて作業は進んでいます。
12時間の作業でも、誰も脱落していません。
今夜には大砲を設置できる見込みです。
城壁から出てきた物好きな敵は、我が軍の精鋭軽歩兵に阻止されました。”
2)塹壕の総延長は4km(バーナディクの方は6km)になり、30日までに
大砲の配置も完了して、全軍の攻撃態勢が完了した。工兵指揮官の指導が
あるとはいえ、3600人の歩兵だけで1日当たり600mの塹壕ができた。
参謀副官のサラザンによれば、ベルナドットは毎日塹壕を回って、兵士を
励ましていたとの事。
3)11月1日にクレベール少将は、敵のヘッセン・カッセル大将にネイ大佐を
送り、降伏を勧告した。しかし、拒否された。
4)2日から3日に掛けて36時間にわたり断続した砲撃を行い、砲兵士官だけ
では手が足りずに、工兵士官が分担するほどであった。
5)4日には降伏の使者が来て、要塞攻囲戦は終了した。
フランス軍に死者の記録はない。オーストリア軍は200人らしい。
<個人的感想>
歩兵による強襲ではなく、砲撃で精神的にプレッシャーを掛けて降伏に
追い込んだ事は素晴らしいと思う。無駄に味方の血を流さない方法は、
クレベールの流儀なのかも。
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