ベルナドット大佐が書いたフルーリュスの戦いの報告書を意訳してみた。
参考資料は、下記のp340〜341。
Les operations militaires sur la Sambre en 1794: Bataille de Fleurus
<内容>
私は、コセルの森に居る敵を攻撃する命令を受けました。
敵は、森の入り口を7門の大砲で守っており、ラホウ村にも居ました。
私は、正面から攻撃を始める為に散開隊形の部隊を送り、1ヶ大隊で支援しました。
更に4ヶ中隊で敵の左翼から攻めようとした時に、3000人のオランダ歩兵と
4ヶ大隊の騎兵が道路上をコセルからヴィルブウルに向かっている知らせが入りました。
それでは、私の右翼を放置し、村への入り口を自由にさせない限り、敵の左翼から
攻める事はできません。
私はこの4ヶ中隊に、第1大隊の残りと共にその場に留まり、村への入り口を防御
するように命令しました。
攻撃は激しく、敵は大砲の数で13:4と私よりも優勢でした。
憲兵部隊が予備兵力として到着するまでは、攻撃を延期するのが賢明と思い、
第2大隊を隠す事にしました。
その間は散開隊形の部隊を増強し、弾薬が無くならないように気を付けました。
小さな増援が来るまでは、この方法で射撃戦を続け、到着後に敵を左翼から攻撃しました。
私は第2大隊に強襲を命じました。彼らは、ブドウ弾を射撃する7門の砲兵隊の
真ん中に向かって冷静に攻撃しました。
騎兵は2回突撃し、2回とも混乱状態になり、代わって歩兵が突撃しました。
左翼と中央から押し込められた敵は、遂に約100名の損害を出して、森から逃走しました。
我が軍の損害も無視できません。
第71半旅団第2大隊のホケ大尉は、彼の中隊(前列10人の2ヶ小隊)と
突撃中に足を吹き飛ばされました。彼は悲しむ兵士に対して、苦痛に耐えながらこう言いました。
”同志、共和国の為なら何でもない。その為の苦痛は甘美なものである。”
ルフェーブル中尉は、腕を砕かれました。
彼らが負傷したのは、私が残りの中隊でオランダ兵を攻撃しようとした時でした。
散開隊形の部隊は、オランダ兵をグイ村付近まで追撃しました。
私は指揮下の部隊を誇りに思います。彼らは、落ち着き、規律と勇気を持って
自分自身を管理しました。
擲弾兵と憲兵は、かれらの名声通りに目覚ましい働きをしました。
<個人的感想>
散開隊形で射撃戦をする記述で、”弾薬が無くならないように気を付けました”と
あるのは、歩兵は何発撃てたのかで調べたように1人35発しか携帯していない
ので、補給しながら射撃戦をしたことが伺われる。
”ブドウ弾を射撃する7門の砲兵隊”に向かって突撃するのは、恐ろしい・・・。
中隊長も先頭に立って行かないと、兵士も行きにくいか。
<訂正>2016/3/20 15:33
報告書の中で、”戦力比が13:4”は”大砲の数で13:4”の間違いでした。
piècesの意味をpartsと解釈しましたが、大砲の数を数える場合にpiècesを
使っている事が分かりましたので。訂正します。
<リンク>