前回の逮捕騒動から約1ヶ月後の5月下旬に、ベルナドット大佐は
ベルギー戦線に督促に来た派遣議員のサン・ジュストから少将昇進の
申し出を受けた。
<背景>
サン・ジュストが近くまで来ていた日に、ベルナドット大佐はクレベール少将の
命令で前衛部隊を指揮し攻撃が成功した。その夜に、サン・ジュストが部隊と合流。
クレベール少将は、攻撃成功の要因はベルナドット大佐の冷静・沈着さにあると誉めた。
感銘を受けたサン・ジュストは、早速、自分の権限で少将に昇進させようと言った。
<辞退>
しかし、大規模な部隊を指揮した経験がない事、また、そのような才能もない事を
理由に辞退した。クレベール少将が説得したが、気は変わらなかった。
<その後>
1)ベルナドット大佐は、1ヶ月後の6月にフルーリュスの戦いの功績で准将に昇進。
2)サン・ジュストは、2ヶ月後の7月に”テルミドールの反動”で処刑された。
<個人的感想>
名前のない戦闘であっても、大佐を少将(当時の最高位)に昇進させられる
派遣議員の力は大きかったようである。少将を処刑できる力があるなら、当然と
言えば当然である。ベルナドットは、この時、随分と謙虚だった。たしかに、連隊の
指揮を執ったばかりではあるが・・・。ボナパルトが大規模の部隊を指揮した経験が
ないのに、イタリア方面軍司令官を引き受けた例と比べると、野心的ではなかった。
フルーリュスの戦いで自信がついたのか、准将昇進はあっさり受けたようである。
また、5年後にネイ准将が謙虚に少将辞退をした際に、説得にあたったベルナドットは
過去の自分を振り返っただろうか・・・。
<リンク>