ベルナドット大佐の逮捕騒動

 ベルナドットは第71半旅団の大佐になった4月に、配下の国民志願兵

から”自由に対する専制的な干渉”の罪で訴えられた。これは、彼の厳しい

規律の事を指しており、革命政府の派遣議員が司令部に押しかけて来た。

ベルナドットは、指揮官として当然の事をしているだけと突っぱね、更に

”他の指揮官を見つけるなら、自分は兵士に戻っても良い”と言ったらしい。

 パリの革命政府は、ベルナドットの逮捕命令を出したが、受け取った派遣

議員はランドルシー守備隊の救援作戦が始まっていたので、逮捕を延期。

逮捕するまでの間は、憲兵が傍で監視することになった。

 

 ランドルシー守備隊の救援作戦は失敗したが、ベルナドットに付いていた

憲兵は、次の2件を報告して”将校として勇敢であり、能力が高い”と評価した。

その結果、既に出されていた逮捕命令はキャンセルされた。

 

1)ゴギー師団の潰走立て直し

 A)背景 

  包囲されているランドルシー守備隊の救援部隊の1つとして、ゴギー将軍の師団も

 参加して師団中央と右翼はゴギー将軍、左翼はベルナドット大佐が指揮した。

 交戦後に中央と右翼は潰走し、士気を回復しようとしたゴギー将軍は兵士に射殺

 された。ベルナドット大佐は師団の退却を援護した後、師団本隊と合流する。

 B)反抗の説得

 ベルナドット大佐は一時的に師団の指揮を引き継ぎ、潰走・反抗した兵士達を説得した。

 ・反抗が、どんなに敵に有利になるか

 ・反抗はフランス軍にとって、どんなに不名誉なことか

 その結果として反抗は終わり、将軍を射殺した犯人と扇動者は逮捕された。その他は、

 軍務に復帰した。

 

2)自分の部下の潰走立て直し

 潰走した兵士に向かって、”お前たちが逃走する事で名誉を捨てるなら、俺はお前たちの

指揮官なんか辞めてやる”と叫んで肩章を引きちぎって地面に叩きつけた。それを見た

兵士の1人は、その肩章を拾ってベルナドットの手に返した。結果として、潰走は回復した。

 

<個人的感想>

 将軍だけでなく、大佐までも逮捕・処刑される時代で、まさに恐怖政治である。

それにしても、強気で押し通すのは、ベルナドットも31歳と若かったせいか。

 

 

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