ナポレオンは陸軍士官学校を卒業し、16歳で砲兵少尉に任官したが、
ベルナドットは17歳で国王海兵隊(Royal-La Marine)に一兵卒として入隊した。
最初の任地がコルシカ島のバスティアで、ブオナパルト一家の住んでいた
アジャクシオとは島の反対側であった。ここには約2年間ほどいたらしい。
後にブオナパルト一家と親戚(長男ジョセフの妻とベルナドットの妻が
姉妹)付き合いをした際に、故郷コルシカ島にいた事で話が合ったのでは。
その後病気になり、3年ほど故郷のポーに戻った。軍務には1785年に
復帰して、以下のように1792年3月まで国王海兵隊にいた。
1785年6月 伍長、 8月 軍曹
1788年6月 曹長
1790年2月 少尉(Adutant)
1791年11月 第36連隊の中尉、但し、命令を受け取ったのは1792年3月。
第36連隊に異動してからは、1794年4月まで在籍した。
1792年4月 第36連隊にサン・セルヴァンで合流。
9月 ドイツ国境に近いヴァイセンブルクに到着、キュスティヌ将軍の指揮下に入る。
11月 連隊のスタッフ(adjutant-major)になり、ライン戦線で戦う。
1793年7月 部隊の選挙で大尉になる。なお、キュスティヌ将軍は、反逆罪で死刑。
後任はボアルネ将軍(後にナポレオンと結婚するジョセフィーヌの夫)。
しかし、ボアルネ将軍はマインツの陥落の責任を問われて辞任(その後死刑)。
第36連隊はベルギー戦線に転属になる。
9月 ウシャール将軍の指揮下でオンショオットの戦い(フランス勝利)に参加。
しかし、ウシャール将軍は追撃不足を理由に解任・死刑になる。
10月 ジュールダン将軍の指揮下に入る。
1794年2月 部隊の選挙で中佐になる。
4月 軍制改革により新しく編成された第71半旅団の大佐になる。
<個人的感想>
一兵卒から10年かけて士官になった叩き上げの軍人であるが、中尉から
大尉、中佐と昇進したのは部隊の選挙によるものであり、下積みの経験から
兵士の心を掴むのが上手かったと思われる。
それにしても、実戦に参加してからの上級指揮官(将軍)が3人とも死刑に
なったのは、革命政府の恐怖政治のせいか。将軍を処刑するのは、ロシア赤軍の
特徴かと思っていたが、前例があったとは・・・。同じく革命で政権をとった人々は、
軍を支配するのに、同じ手法をとるものか。
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