ジェラールがベルナドットのスタッフに入るきっかけとなった
アルデンホーヘンの戦いの場面を意訳してみた。
<戦いの背景>
ジュールダン将軍のフランス(サンブル・エ・ミューズ)軍は、
クレアファイト将軍のオーストリア軍を追撃して、ローエル河を
挟んで対峙していた。フランス軍の左翼はクレベール将軍が
指揮して、前衛がベルナドット准将の歩兵部隊とネイ大佐の
騎兵部隊である。
<戦いの場面>1794年10月2日
河を渡る為の橋が用意されたが、短くて向う岸まで届かない
ことが分かった。そこで、ベルナドット准将は、配下の第71半旅団
(革命の影響による一時的な呼び名で、連隊のこと)に次の言葉を
叫んで、河に入るように命令した。
”最も勇敢なものは前へ進め!皆の模範となれ!”
激しい銃火の中を連隊の将校達に率いられて、兵士は河に入り、
何人かは殺されたり、溺れたりしたが対岸まで泳いだ。
その将校の中にジェラール中尉がおり、ロープを張って
後続の隊員が渡り易いように工夫した。この機転を見たベルナドットは、
半年後(この時、ベルナドットは少将で師団長)に自分のスタッフに入れた。
渡河した第71半旅団は、対岸に橋頭堡を築き、後続の
クレベール将軍の部隊が渡河するのを可能にした。
この功績で、第71半旅団は連隊旗に”アルデンホーヘン”の
文字を入れる事を許可され、また、凱旋門にも刻まれた。
<第71半旅団の部隊略歴>
1)第71半旅団は、1794年4月に次の3つの大隊から再編された
新編成の部隊で、初代の隊長がベルナドット大佐であった。
A)旧常備軍 第36連隊第1大隊(*)
B)国民志願兵 マース志願兵第2大隊
C)国民志願兵 フェデレ志願兵第13大隊
D)砲兵1ヶ中隊(4ポンド砲6門)(**)
(*)1794年2月にベルナドット大尉を選挙で大隊長の中佐にしていた。
(**)基準であるが、実際には少ないかも。2016/2/18追記。
2)1794年6月26日のフルーリュスの戦いでは、西部戦線で
クレベール将軍の反撃の先鋒としてベルナドット大佐に率いられて
奮戦し、オーストリア軍の3000人を捕虜にした(大げさかも)。
この反撃の功績で、ベルナドットは准将に昇進した。
<個人的感想>
第71半旅団兵士は、元の大隊長・連隊長であるベルナドットを
信頼していたと思われる。昼間に銃火の中を敵前水泳で河を渡る
のは、命令とはいえ中々できるものではない。それだけに、結果が
出た時に栄誉が授けられたと思われる。
また、そのような状況下でロープを河に渡す事を思いつく
ジェラールも大物と思う。
<リンク>