ネイとベルナドット(その3)

 ナポレオンが皇帝になってからは、大陸軍の元帥として各々軍団を

指揮していたが、主要会戦で一緒になる事はなかった。

 会戦名ベルナドットネイ    
1805年アウステルリッツ 参加不参加
1806年イエナ 遅参 参加
1807年アイラウ 不参加 終盤に参加
 フリートランド 不参加 参加
1809年アスペルン・エスリング 不参加 不参加
 ワグラム 参加 不参加
1813年(デンネヴィッツ) 参加 参加

 1813年のデンネヴィッツの戦いでは、ベルナドットが連合軍司令官、ネイが

フランス軍司令官として相対したが、連合軍は実質的にはプロシア軍が主体で

ビュロー中将が指揮しており、直接の対戦はなかった。

 

 ネイが1815年に死刑になった後で、遺族はフランス国外に避難する事に

なったが、受け入れたのはスウェーデンのベルナドットであった。その後、成長

した長男達はフランスに帰国し軍人になっている。

 

<個人的感想>

 ベルナドットがフランスを離れた1810年から5年経過しても、遺族が

頼る先として選んだ事は、ネイとベルナドットの親交が深かった事を

意味するのではないかと思う。

 

 

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