貴族の復活第1段(身内編)

 ナポレオンは皇帝即位に伴い、兄弟姉妹をプリンスにしていたが、

1806年の3月から本格的に身内に領地を与えるようになった。これは、

アウステルリッツの戦いの後に結ばれたプレスブルクの和約により

領土が確定した事があると思われる。

 

<3月>

 1)兄のジョセフをナポリ&シシリー王。

 2)義弟のミュラ(妹カロリーヌの夫)をクレーフェ&ベルク公。

 3)妹のポーリーヌはグアスタッラ公。

 4)参謀長のベルティエ元帥はヌーシャテル公。

<6月>

 5)弟のルイをオランダ王。

 6)外務大臣のタレイランをベネヴェント公。

 7)ベルナドット元帥をポンテコルヴォ公。

妹で一番上のエリザと夫のバチョッキにはルッカ&ピオンビーノ公を

1805年6月に与えている。

なお、上記は全て称号だけでなく領地を持つ元首である。

 

 身内でないのは、軍事担当のベルティエ元帥と外交担当のタレイラン。

報奨の意味もあると思われる。

面白いのは、ベルナドット元帥が入っている事。他の元帥よりも抜群の

功績がある訳ではない。

 A)妻のデジレ・クラリーがナポレオンの元婚約者(*)であった事。

  (*)ナポレオンから婚約破棄した事もあって負い目があったと言われている。

 B)デジレ・クラリーの姉マリー・ジュリー・クラリーがナポレオン

  の兄ジョセフの妻である事(ベルナドット元帥は義理の妹の旦那になる)。

の2つから身内扱いになっているのかも。

 

 

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