もう1人のフランス人将軍

 COA社バタイユゲームのVol.13ドレスデンのロシア軍には、ジョミニ中将の他に

もう1人のフランス人将軍がいる。モロー少将である。革命戦争時の将軍は、

最高位がGeneral de Division(少将)であった為、少将のまま。

 

 しかし、革命戦争時は1795年から97年までライン・モーゼル軍(RM)司令官として、

1800年にもライン軍(R)司令官として戦い、ホーエンリンデンの勝利ではナポレオンに

並ぶ名声を得ている。その頃の部下がドレスデン近郊に居た。

参謀長(RM) レイニエ少将⇒ 第7軍団長としてベルリン方面に

軍団長(RM) サン・シール少将⇒今や元帥で第14軍団長

師団長(R) ネイ少将⇒今や元帥で若年親衛第2軍団長

旅団長(RM) ヴァンダム准将⇒少将で第1軍団長

     (R) ナンスーティ准将⇒少将で親衛騎兵軍団長

 

 直接顔を見る機会はないが、フランス軍指揮官の名前は連合軍にも

知られていた筈で、モロー将軍は何を思ったのだろうか・・・。

そもそも、1805年から12年まで米国ニュージャジー州に居たが、ナポレオンの

ロシア遠征軍の崩壊を聞いて戻って来た。ナポレオンを倒して共和制に戻す事が

目的らしい。しかし、砲弾により致命傷を受け死亡・・・。

遺体はロシアのセント・ペテルスブルグに埋葬され、後にフランス王ルイ18世は

元帥にした。

 

 能力データは、歩兵・騎兵・砲兵=2、士気=1と低い。サン・シール元帥に

よれば、ライン・モーゼル軍では参謀長のレイニエ少将と軍団長のドゼー少将に

任せていたとの事で、有能な部下を上手く使う親分タイプのようである。

ナポレオンがいないと元帥連中が喧嘩するフランス軍には、独立した方面軍司令官

として必要な人材ではなかったかと思う。最も、野心家のナポレオンが皇帝になった

時点で、共和主義者のモローには合わなかったかも。

 

 

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