ナポレオン戦争の大砲(野戦用)

 ナポレオンが権力を握った後で、マルモン少将が中心になって大砲の種類を

更に少なくしようと、共和暦11年システムに変更した。1803年に最終案が

纏まったが、1805年以降の戦役では新システムへの移行が終わらずに

新旧の大砲が混在した。野戦用大砲の主な変更点は、次の2点。

1)4ポンドカノン砲と8ポンドカノン砲を廃止し、6ポンドカノン砲に統一。

2)榴弾砲を6インチから新型の5.72インチ(24ポンド)砲に変更。

 

6ポンドカノン砲のサンプル写真(総重量1350kg)

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24ポンド榴弾砲のサンプル写真(総重量1254kg)

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<個人的感想>

 6ポンドカノン砲に変えた理由は、他の主要国(オーストリア、ロシア、プロシア、イギリス)の

通常砲が6ポンドで、彼らに対抗するには4ポンド砲では火力不足で、8ポンド砲では重くて

機動性がないとの事。マルモン少将が提言して、ナポレオンが承認した。

しかし、実戦での経験から6ポンド砲は中途半端で、8ポンド砲が良いと感じる将校もいた

プーメ少佐によれば、町の壁に隠れた敵陣に穴を空けるには、6ポンド砲は火力不足で、

12ポンド砲の到着を待つ事で勝利を掴み損ねた。8ポンド砲ならできたとの事。p4)

共和暦11年システムを改良したヴァレ・システム(1828年)では、6ポンド砲はなくなり、

8ポンド砲になっている。

 マルモン少将もナポレオンも砲兵将校の実戦から遠ざかって、管理者になっていて、

実情が分からなかったかも・・・。

 

 

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