ナポレオン戦争の軍医療体制(1)

ナポレオン戦争の軍医療体制について気になったので少し調べてみた。
以下にメモしておく。

1.軍病院
  次の3種類ある。
(1)常設病院
   国内にあるもので平時/戦時の両方で開設し、戦時では遠征先からの負傷者を受け入れる。

(2)臨時病院
   戦時に開設し、最前線からは最低5km離れた近くの大都市に設置される。
   次の移動病院から負傷者を受け入れる。設備は常設病院よりは劣る。

(3)移動病院
   戦時に開設し、軍に同行して救急の手当・手術を行う。
   軍の最後方付近の建物(城、教会など)に本部を置く。
   必要に応じて師団に派遣する救急隊を師団数だけ保有する。

2.救急体制
  革命戦争から軍医療に従事してきた外科医Dominique-Jean Larreyにより基幹の
  救急体制が作られた。彼はナポレオンのイタリア遠征から同行して信頼を得て、
  色々な提言をしながら最終的にナポレオンの承認を得た。

(1)連隊
   連隊毎に救急医療隊が1隊同行する。
   ここで最初の手当・手術(手足の切断などを含む)が行われる。
   1級外科医1人(隊長)、2級外科医4人、3級外科医5人(*1)の構成を基本とする。
   所属する大隊数 ✕ 外科医2人となるのが目安になる。
   更にスタッフ(御者、助手など)が付く。

   所属する大隊数分の4頭4輪荷馬車を保有して次のものを積み、
   最大6人までの負傷者を運べる(*2)。
    マットレス2,担架6,外科用具、綿布50kg、包帯100kg、薬。

   (*1)1・2級は正規の医者だが、3級は医学校で数ケ月勉強しただけの見習い。
   (*2)移動病院に使われる救急馬車とは異なり、重くて機動性が低い。

(2)軍または単独軍団
   移動病院に所属し、Chief surgeon(外科医長)を隊長として師団数分の救急医療隊が含まれ、
   必要に応じて各師団に派遣される。
   Larrey’s systemと呼ばれる救急医療隊の基本構成は以下の通り。
 (A)人員 合計113人
    1級外科医1人(隊長)、2級外科医2人、3級外科医12人。(中の2人は薬剤師を兼ねる)
    中尉1人(庶務取り纏め)、少尉1人(警察)、曹長1人(支給品管理人)、
    軍曹2人(支給品管理人代理)、外科器具運搬1人、騎乗の医療従事者12人(*3)、
    曹長1人、軍曹2人、伍長3人、少年兵1人(*4)、徒歩の医療兵25人。
    馬車担当(御者など)48人。

 (B)救急馬車(救急用に機動性を高めた馬車。下図は親衛隊の軽量救急馬車)
    軽量馬車12、重量馬車4を保有する。
    軽量馬車は1か2頭で引き2人の負傷者を早く運べる。平地で使われる事が多い。
    重量馬車は4頭で引き4人の負傷者を早く運べる。起伏のある土地でも使うことができる。

   (*3)馬医、ブーツ職人、馬具職人を含む。
   (*4)ドラマー(太鼓叩き)、手術着運搬を行う。

(3)救急体制の意義
   体制ができる前は行き当たりばったりに負傷者を色々な方法で移動病院まで
   運んでおり、負傷から24時間以内にたどり着くことが難しく多くは死亡した。

   そこで、連隊レベルで第1次の手当・手術を行い、手に負えないものは師団に運ぶ。
   師団レベルで救急医療隊が負傷者を引き受け、手当・手術を行なう。
   必要に応じて戦場から救護所、救護所から移動病院まで負傷者を運搬する。
   負傷から24時間以内に手当・手術をする事が目標である。
   (当時、手術は負傷後24時間以内に行わないと生存率が低かった。)

   なお、従来通り戦闘後でないと負傷者は搬送されない。(救急隊の安全のため)
   自力で救護所に辿り着けたものは生存率が高い。

次回へつづく

<個人的な感想>
Dominique-Jean Larreyは次の2点で救急医療を大きく発展させた。立派である。
1)救急車の創設 :上記の救急馬車が今日の救急車の元祖である。
2)トリアージの発案 :多数の負傷者がいる状況では身分に関係なく、負傷状態で医療の優先度を決める。