革命戦争とナポレオン戦争において、工兵も独自の参謀体制を持っていた。
ただ、砲兵と違い、工兵が必要とされた状況により体制が色々変わる。
下記の例は、1801年1月1日から19日まで、イタリアのペスキエーラ要塞
攻囲戦の参謀体制である。オーストリア軍2260人に対し、フランス軍4089人が
包囲したが、トレヴィーゼの休戦により終了した。
1)フランス軍の参謀体制
指揮官 | 参謀 | |
総司令部 | シャセル(Chasseloup)工兵少将 | 参謀長(騎兵少佐)1人、副官(工兵大尉)2人 |
北側地区 | なし | 工兵少佐2人、工兵大尉8人 |
南側地区 | なし | 工兵少佐2人、工兵大尉6人、工兵中尉1人 |
砲兵部隊 | レコンブ(Lacombe)砲兵少将 | 参謀長(大佐)1人、副官(少佐、大尉、中尉、他)各1人 |
歩兵部隊 | ダブロフスキー(dabrowsky)少将 | なし |
工兵司令官のシャセル工兵少将が総司令官で、歩兵部隊のダブロフスキー少将が副司令官である。
何故か総司令部の参謀長が騎兵少佐のイナ(Hénin)で、後日この攻囲戦の日記を書いている。
2)実戦部隊
兵科 | 規模 | 補足 |
歩兵 | 3067人 | ポーランド軍が主力で2125人 |
騎兵 | 218人 | 猟騎兵1ヶ連隊 |
砲兵 | 281人 | 大砲30門 |
工兵(塹壕部隊) | 412人 | 複数の中隊 |
工兵(坑道部隊) | 66人 | 1ヶ中隊 |
工兵(舟橋部隊) | 45人 | 1ヶ中隊 |
実際の塹壕掘り・陣地作成は工兵だけでなく、歩兵も駆り出されて従事する。上記の参謀は、
その指導もする。
<個人的感想>
司令官のシャセル工兵少将は、後にダンチッヒ要塞攻囲戦にも呼ばれた有名な将軍との事。
参謀長になったイナ騎兵少佐は、細かい事にも気を使って良く働く人のようで、そのような人は
兵科に関係なく参謀長に向いているのかも。フランス軍の戦闘序列(OOB)も細かく記載して
いるし、レコンブ砲兵少将の副官の1人(Lacombe)の説明にわざわざ”fils(息子)”と書いている。
<リンク>