三色旗事件のフランス側対応(3/E)

 総裁政府は、事件に対する態度を曖昧にしたままにしていた。5/24にパリに 着いたベルナドットは、タレイランから明快な補償はできないと伝えられた。(*1) (*1)ベルナドットの扱いが、事件に対する政府の態度になる為、明 … 続きを読む 三色旗事件のフランス側対応(3/E)

三色旗事件のフランス側対応(2)

 事態が思った以上に深刻なものであり、戦争の危機と国の名誉とのジレンマに 悩んだ総裁政府は、ナポレオンを全権大使としてオーストリア側とラシュタットで 交渉する事にした。オーストリア側は、この柔軟な態度に喜び(*1)、外務 … 続きを読む 三色旗事件のフランス側対応(2)

三色旗事件のフランス側対応(1)

 ウィーンを去ったベルナドットは、4/23にラシュタットに到着。ここに滞在して、 事件対応の承認とパリ帰還を求めた。並行してウィーンから直接パリに向かった ヴィレ・フォヴィルとマレホスキーは、4/23に到着して事件の詳細 … 続きを読む 三色旗事件のフランス側対応(1)

ウィーンからの退去

 皇帝はコロレド(Colloredo)伯爵を使者に送って返事をしてきた。 1)今回の事件に遺憾の意を表明する。 2)事態の鎮静化を命じた。 3)大使が留まる事を希望する。 4)事件の調査を約束する。 5)大使が心配してい … 続きを読む ウィーンからの退去

三色旗事件の抗議

 群衆の解散後、直ちにベルナドットは、オーストリアの外務大臣ツゥグート宛てに 手紙を書き、ウィーンからの退去を宣言した。 1)このような状況が続くなら、この地に留まっても意味がない。 2)オーストリア政府が命じて、オース … 続きを読む 三色旗事件の抗議

ウィーンでの三色旗事件

 1798/4/13 夕方5時頃に総裁政府からの命令で三色旗を大使館のバルコニーに掲げた ことが事件のきっかけになった。(この当時、国旗を掲揚する慣習はなく、ブルボン王朝時代の フランス大使館でも国旗は掲揚しなかった。) … 続きを読む ウィーンでの三色旗事件

ベルナドットとベートーベン

 ベルナドットは、大使としてウィーンに住んでいる色々な人々と会う機会が多かった。 その中で、作曲家のベートーベンとも何回か会った。ベルナドットがナポレオンの為に 英雄交響曲の製作を勧めたとの間違った話があるが、これはない … 続きを読む ベルナドットとベートーベン

ベルナドット大使の任務

 ベルナドットの任務は、次の2つである。 1)表向きは、フランスとオーストリアの外交再開である。 2)裏の目的は、フランス軍のローマ進攻からオーストリアの注意をそらす事である。 2番目は成功しており、1番目は余り期待され … 続きを読む ベルナドット大使の任務

ベルナドットのウィーン着任

 総裁政府が何もしないので、ベルナドットは、ラシュタット会議に出席している オーストリア全権大使のコベンッェル(Cobenzl)伯爵にウィーン駐在フランス大使任命を 知らせた。彼は1798/1/21にベルナドットからの手 … 続きを読む ベルナドットのウィーン着任

大使の随行員

 ベルナドットは、随行員として将軍付の副官であるヴィラッツ大尉、モウラン大尉の 他に旧参謀長であったサラザン准将と旧参謀副官で准将に昇進したミレルを要望した。 しかし、総裁政府から大使に将軍は同行できないと断られ、代わっ … 続きを読む 大使の随行員